写真うつり

写真に映すと寂しそうに見えるらしい
知ったことかと言い切れない気弱さが、出るのかもしれない

「写真うつり」というタイトルにしたが、ここで話し方に話題を変える
この5年間、よくやった。でも口に出すときに、よくやった自分、というと痛い感じになるなと思い、なら受験生頑張れ、ついでに自分もっとやれ、と言えばいいのかと思ったりする。言い方は、言う直前まで考えて、結局口ごもってしまい伝わらないことすらある。

上でも言ったが、こういう弱腰なところが写真に出るのかもしれない
しかし、あーでもないこうでもないと考えるところから研究の種が生まれることもあるだろうし、そろそろこれでいいとしよう

この5年で随分図太くなったから、そのうち写真にも出るようになるだろう
おや、タイトルに戻ってきた。

ああ、私も小説が書けたらなあ。せめて、人にわかってもらえる文章は書こう。

博士論文を提出した

終わった・・・のか?

っていうセリフが思い浮かぶくらい、あっけなかった。
提出して、終わり。


成果を出すとか、何かを創りだすって、ほとんどが地味か単調な作業なんだろうなあ。


実は提出しただけで審査は始まってもないから、気分的にはそんなに解放感はないけど、周りからおめでとうございますって言われることに少し抵抗がある。始まりに(やっと)たどり着いたっていう意味では、おめでとうだから素直に受け取ればいいものをね。


久しぶりに泳いできた。最近腰が痛くて辛いので平泳ぎをやめてひたすらクロール。昼時に行ったら監視員を除けば私1人だけで、とても気持ちがよかった。

博士論文の執筆って孤独な作業で、そういうときに過去に応援された言葉がすごく心強く大切なものだと知った。応援してると声をかけられた時の言葉を頭の中にこだまさせて初めて次の一歩が踏み出せる、というときもあったような。まだ終わってないけどね。

かっこいいこと考えなくて済むような自信が欲しい。

長い学生生活

が、終わろうとしている(かもしれない)ことに気づいた。
日曜日なのに隣接したビル工事現場で重機ががごんがごんいってて、それに責任押し付けられないなと思いつつ、集中力が切れたので日記を書く。

長い長い学生生活が、あと半年で終わるかもしれない。
終わらせる気は満々だ。

学部生の頃は、博士まで行くと生活費も就職先もなくて真っ暗な生活と聞いて信じていた。が、実際やってみるとそんなに辛いっていう実感はない。就職先は、頭の片隅で考えつつでも今やってることで成果出すのが先なんだわ。研究室も複数経験して、研究室が変わると研究が終わらないとか先生と上手くいかないとか色々言われてたけど、今の研究はまとめる段階に入っているし、人間関係には満足している。教室を渡り歩きながらやってこれた。運は、いい気がする。としておく。

博士号とったら感動する気がする。終わるまで、感動しないようにしてる部分もある。

住むところや行くお店の価格帯を、他の人と比べて思うところがある場合もある。体調によってはひどく気になることもある。好きなことを好きなだけする環境の価値について、大学院を出たら検討しよう。今何がよくて今後何がよくなるかわからないが、自己正当化があまり得意ではない(と思っている)私も、そのうち引け目とかから解放されるっていうか、、、まとまらないからここで。じめじめしているわ。

博士論文

11月の提出に向けて書いている。

結果の、理論を書くのは時間かかったものの、書いたおかげでやっとこの研究で何をしてきたかが分かってきた。

結果を一度まとめて初めて、自死遺族の悲嘆に関する分厚い教科書を違和感なく読めるようになった。先に教科書を読もうとしても実感がなくて理解できなかったのだ。で、今教科書を読んでいる。ぎりぎりだわ。

自責の念、といわれる感情がある。一言で済ませるには広すぎる概念だと思う。
自分を責めるにしても、理由は様々あるからだ。死別の研究っていっても、実際一番興味があったのは自責の念、という概念の詳細な分類だったぽい。先行研究はないし、これ説明すると、これから傾聴ボランティアしようと思う人や自死遺族の隣近所の人が読んだら役立つはずだと思って書いている。自死遺族に限らず、死別した人は大なり小なり自分を責める気持ちは持っているといわれる。一般に自責の念というと、あの時こうしていればよかった、っていうやつだ。自死遺族に特徴的な点もある。それを、目玉にしようと思う。

忙しいというか、することがあると私は漫画やアニメにはまる。例にもれずここ1か月はベルセルクにはまっていた。時間を自由に使える職業なのか何なのか、寝る間を惜しんで読んでいる。青年漫画面白いのね。暴力とエロスの割合が少年漫画より多い分、人間模様が複雑になって面白みが増す。私も年齢を重ねてきて、そのくらいあった方が少し現実味が持てる、と感じたりする。血が苦手な夫が、自分とは価値観が違うという目でみる。

歴史は繰り返すって悪いことに対して使われる。でも完全に繰り返すわけではなくて、少しずつ違っていく、ってことを描きたいのかなと思った。私が好きなフラクタル

主人公の顔が年齢とともに変化していくのが面白い。古代ギリシャ人みたいな顔だし中世ヨーロッパってあるからそこらへんの人種なんだと思ってる。10代ではかっこいいしかわいいのに、20代前半にいきなりごつくなったりするのがよく描いてあるなーと思う。結構外国人ウケもいいらしいから、移住したあかつきには実際どのくらい受けているのか確かめてこようと思う。

少しずつ前向きであること

啓発ちっくなタイトルになった


やる気の傾斜角度をプラスに保つこと、って思ってる。
小学生のころ、テストの点数がいつも30点とか40点だった子がいた。勉強が得意な子どもではなかった。でも好きなことは小さい頃から一人でも積極的にやっていた。美術館に行くとか、走るとか。

彼女が大学院に行ったと聞いて、最初驚いた。失礼な反応かもしれない。今は、留学して海外で仕事をしている。とても楽しそうだ。

同じような例を、小学校の友達で数人みてきた。みんな、最初できなくても好きなことをずっとやり続けていた。やり続けていれば報われるってものでもないけど、大事よね、と改めておもった。

前向きすぎないけど、できる範囲で前向きな姿勢を継続することが素敵だなと思ったのは、ルーマニアからの留学生の実家に遊びに行ったときだったな。計画経済の名残でみんな部屋の小さな団地に住み、雇用は不安定で男尊女卑の考え方が色濃く残るなか、家事と仕事を続けながら子供を留学にやるお母さん。少しずつ前向きな姿勢で淡々と日々を過ごす姿勢がとても印象的だった。

今後の参考にしてゆこう。

愛だなあと思うこと

衝撃的な経験は、生きていれば何かしらある。それに対応しながら日常生活を送っている。

私の研究は、その「対応」についてまとめるのが目的だ。どうやって日常生活を保っているのだろうか?

人が語る人生にはストーリー性がある。ある程度受け入れられるストーリーが言葉になって出てきているのかな、と感じる。最初は語ることができずただ耐えるだけだった物語をm語れる物語に変容させる力って、生命力だなと思う。

そして、故人に対して語られる言葉に愛を感じることがある。というと抽象的で分かりにくいけれど。私が愛と感じるなにかが、故人とそのひととの間の物語を死別後に徐々に変容させているもののように思える。

あらら。生命力と愛って同じじゃんて話になるね。そこらへんの整理は徐々に。