メンテ

ノースカロライナに行ってきました。ライティングワークショップ。日本語も英語も、語彙を増やす必要がある。特に日本語。英語もめちゃ必要だけど、、英語はエディターに修正してもらうっていう文化が浸透してて、英語が母国語でも依頼するみたいだった。日本語ってそういう文化ないよね。書き手が地道に語彙と表現力を伸ばすってなると、母国語だし情緒を込めるには全然足りない。辞書好きだった父親を見習おう。


NCの気候は穏やかで緑が多くて住人は親切で道にごみはほとんど落ちてなくて、特に老後にとてもいい場所だと思う。


帰国してバテてちょっと仕事がたまったら、しんどくなった。よわっちい。。さらに、元同期たちが次々留学先きめたり奨学金獲得に奔走してる報告を聞いて、うじうじし始めた。この歳まで延々繰り返してきた習性、この先多少軽減するとしてもずっと付き合うことになるんだろう。


性格との距離感はつかみつつあるように思う。今日は、話すことが精神的メンテになると言われて自己肯定感がうなぎ上った。外からの助け、ありがたいわー。


相対化できないしんどさっていうのはたぶん大半のひとが感じざるを得ないいんだ。その性質とか強さは千差万別で対処しづらい。だから、もし何かが適合するならそれは運がいいことで、それが合うと感じる限り大事にしたらいいものだと思う。辛いと誇示する必要はないっていうのは個人的な価値観。最近、「私」のかわりに「個人的」を使うと会話がスムーズに続くので気に入ってる。


汲々してるときにいいこと聞いて、やる気が出た。ストーリーを組み立てるのもものを書くのも好きだけど、時間がかかって滞る。さ、進めよう。

がーん

1年前に比べて、体重が5キロ増えた。パンツが入らない。がーん。がーん。

一昨年の写真をみて、背中から見た体型の変化に軽くショックを受けた。太ったことを認めざるを得ない瞬間。
といいつつ、受験のときもそうだったけど今年はそれより机にへばりついてることの方が重要。効率って何さ?いつ降ってくるか分からない集中力を一番効率よく捕まえられるのは、いつでも書き始められるようにすることだ。今年は。体重のことを気にしすぎて精神的に不安定になって集中できないのはありえない。

あと、実は、今くらい(よりは減らしたいけど論文終わったら)の方が、見た目的には自分の好みに合ってるなあと思う。なのになんで体重減らしたいと思うんだろう。これ不思議。着たい服の雰囲気的には、今(しつこいけど今よりは締めたい)くらいのが好きだ。細かったときは、そっちのが綺麗だと思っていたけどまあ、ほっそりとしたはかなさを演出するような立場にはもうない。私が憧れる人たちは、体型はともかく生命力に満ちてる。セルフイメージを更新する時期がきてると思う。いやでもやっぱりもうちょっと締めたい。


プール行ってリフレッシュしながら、論文書いて申請書書いて原稿書こう。終わらなさそうなくらいすることが沢山あるのは、有難いことだ。


今ふと思ったけど、二十歳くらいのときの彼氏に「女の子は太っちゃだめだよ」って言われた言葉を、今になっても時々思い出してる。それで、そうだ痩せなきゃと思うこともある。今はあまり関係なくなってしまったその人の言葉にそんなにも縛られる必要ってないよね。ていうか太るってどの程度の話よ?もっと自分をそのまま認めればいいんだきっと。

スーパーネガティブモード

なんでスーパーってつけたいと思ったんだろう。


ネガティブ。人の言葉が批判に聞こえて仕方がない。し、なんかダメなやつって思う。こういうのなんていったっけ。卑下だ。卑屈だ。半端もの。

こうなるのは、判断基準が曖昧になってるとき。いっとき信じてきた基準の信ぴょう性がゆらぐとき。ていうことは、これを過ぎたら何か新しくなるのだろうか。それに、いつまで続くんだろうか。一生かな。ずっと楽しめるかな。


どうしたんだろう。どうしてなんだろう。せっかく暖かくなってきたのに。新緑の若葉がぱっと目に入るぶん、暗い色の枝から浮いて見えるのがすごく好きな季節なのに。


あーあ。
正直にいうと顔が丸くなった、っていうのは理由の一つだと思う。くだらないとあなどるなかれ。私にとっては重要なこと。未だそういうものに囚われてることに対する恥ずかしさ込みで。何かをやり遂げたいと思って進学して論文書いて、奨学金とって。でも満足できなくて。満足できないのは、むしろ価値観が前と変わってなくて、目指したものに到達してないからか。上と逆のこと言ってる。わけわからない。一体どうすればいいのだろうか。たぶん続けることが大切なんだ。だから、この日記を書き終えたらここ数日目をそむけていた書類を片付けて、to doリスト作って優先順位決めて上からやろう。これならできる。

アニメの感想 dtb

ここ3日間、朝から晩までアニメを見続けて目が疲れた。でも満足。充実。


寝食忘れた。アニメやゲーム、気に入ると気持ち悪くなるまで見る。いくら好きでも研究や絵画や楽器ではこうならないのに。


見ていたのはdarker than black。2007年ごろ放映されていたらしい。
普段からアニメはよく探してるし、無料動画でちょこちょこ見るけど時間を忘れてみることって少ない。というか、時間がもったいないと思うからセーブしてる。セーブできる。

このSFアニメ、たぶん絵が魅力的だったんだ。ストーリとか設定はX-Menに似てる。突然変異の超能力者が人間との共存のために戦いながら悩む、という感じの。
最初2日はいろんな人がネットに書いた感想とあらがきをひたすら読んでた。普段は、無料で見られる1,2話とそういうのをちらちら見れば満足するんだけど、今回は感想とあらすじ見るのでも2日ずっと読んでたし、アニメそのものが見たくなった。それで最後1日かけて見た。

絵は、特に主人公の絵と声につられて見続けてたような気もする。思春期をとうに過ぎて、漫画でかっこいいと思ったことが恥ずかしかった。最終話は英語で見て声違ったけど面白かったから声はそんな重要じゃなかったかも。絵は漫画でもアニメでも、小説の挿絵でも重要。魅力的じゃないと読む気がしなくなる。でも絵なんてどうでもいいくらい話が面白い場合に、ずっと見てるうちによく見えてくることも少なからずある。


テーマは、手放す、に見えた。大事なものでも、そのときがきたら手放して先に進むこと。大事なものっていうのは、このアニメでは家族(恋人、仲間含む)だった。権力とお金が悪いイメージで出てくるのは物語で一般的なことか。最初、物語背景の粗さを見るのが嫌で人が書いた感想(どれも情緒的な部分について書いてある)とあらすじばかり見てたんだけど、結局全部見た。人の感想と自分の比べられて面白かった。でもやっぱり権力の描き方が若干苦手。


痛みを飲み込むっていうか。できる限り努力して、万策つきたら流れに身を任せてしばらく絶望してても生活を続けるっていうか。英語版もみたけど再生回数少なかったから、この考えって日本的なのかもなあ。日本的だけど、自分と向き合う、反省する、気づくとかの場面が皆無なのは爽やかでよかった。


あたまの中洗った。投稿論文投稿しよう。

追記:結局、あと2日見続けて合計5日間アニメ漬だった。どうしたんだ。

音に反応する

音には結構敏感に反応してしまう

まず、ものを食べる音。特に、たぶん唾液の分泌が多いだろう人が噛むときの水音が混じったのと、すごく気を付けてるのになんか出ちゃう、みたいな音。

あと、キーボードを打つ音。これは、試験のときの筆記用具の音に似ててすごいプレッシャーがかかる。特にそのときやっていることが進まないとき。

どちらも精神状態によるので、集中してれば全然気にならない。だから、集中しろよ!ってことになるけど、進まないってときにそう簡単に集中できるもんですか。どちらも、たくさんのひとが音を出してるときは一向に気にならない。例えば食堂やパソコンルーム。これらの場所では、全然気にならない。

イライラするとますます集中しないし物は進まないし、なんか脅かされてる気分になってきてとても困る。しかも、こういうのってナイーブだと思う。でナイーブなこと曝したくないから気になってることを誰にどう切り出してしかもできれば論文書く年は回避させてもらいたいのだけどそれをどうすればいいのか分からない。せっぱつまると言っちゃうから、ばれてるんだろうけど。

いらいら、というか、どきどきして不安になるのは、キーボードたたく音の方は、暗に「こんなに自分やってるんだ」って主張しているように聞こえて、攻撃されてるように感じるから。食べ物の方は黒板を爪でひっかいたときみたいな感覚だからそういう体質なのかもしれない。。。気にしてます、こんなに上品に食べてるでしょみたいな音はそういう意識にいらっとしてるんだと思う。

そんな主張してるって思うことと、だからって攻撃されてるように聞こえることがとても残念。うん。残念。て思いながらこの文章書いてる間は全然気にならない。仕事中限定か。。それも残念。いいBGM探そ。

カモミールティーを飲んだら身体があったまって安心した。

友だちに仕事を頼む

甘えてしまって、失敗した。
でも相手がきちんと対応していくれたから、なんとかまとめられたと思ってる。感謝感謝。


面子を考慮して動くってことが苦手すぎるけれど、全然そんなこと言ってられない年齢になってきたんだな。お互い。

もっと社会のしくみと人との機微を学びたい。一番得意なことではないのはよくわかったから、得意なこと、研究で成果だして、それを元に外に出よう。