話す量

話をするのは嫌いではなくて、友達と数時間は話し続けられる。

なのに、なんとなく話が詰まってしまうひとっていうのがいる。しかも、最初から話せないのではなくて、数年前と比べて話せる量がものっすごく減ってしまったひとがいる。


今の方がひとの話を聞くのが面白くて、人の話を聞いて思い出したことを話したり、場合によっては言わないでおくようにもなったから、少しは会話の手が増えたと思う。以前は、話すにしても、まるで独りごとのように話していた。


最近は、独りでひたすら話せっていわれても苦しい。相手の反応を足がかりにして、話を進めたり適当に返したリ(は苦手だけど)しないと続かない。コミュニケーションて意味では広がったのかもしれないけれど、何か失ってる気もする。


まあでも、ブログに書いてることをもっともっとまとまらないかたちでうわーっと言ってたのであって、今はこうして吐き出す場を得ているから、ひとの話を聞く余裕ができたのかもしれない。実は、最近思うのはどうしようもなくつまらないことが結構気になっていて、でもそれを伝えられるひとっていうのはとても限られているってことで、つまりそういうひとは私の命綱ともいえるひとだってことだ。だって、ブログだけでは、足りないのだもの。思ったより、言葉に飢えている(ときがある)。

沢山の本を読んで、表現の幅を広げて、自由に言葉で表現できるようになったら楽しいに違いない。何かについて、火がついたように話せる事柄はいつもひとつもっていたい。

親の時間

親が自分を育てるために人生を無駄にしたとか、そんなこと全然ないと思う。
家に帰ったとき歓迎されるなら、大変だったかもしれない過去は報われていると感じているのではないかしら。少なくとも今は誇りに思ってるように感じた。


他人からの評価って生きてくうえでとても重要だけど、例えば報酬だけで価値を測るって完全に他人に自分の評価を委ねてて、もったいないと思う。

自信を持っていいと思うんだよね。
余計なお世話かもだけど!

あたしって、いいよね♪と思うこと

内田樹先生のブログ
http://blog.tatsuru.com/2011/11/03_0941.php

合気道で直接お世話になったことのある友達には「うーん結構適当だからあんまり聞かなくていいと思う笑」って言われてしまった。私はお会いしたことがないし聞いた感じが好きだからまめに読んでる。

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「溺れないようにするためには、溺れて死ぬほどの目に遭わせるのが捷径である」という人に、私が訊きたいのは、それで溺れたらどうするのか、という素朴な問いである。
それよりは「溺れそうな場所には近づかない」方が生き延びる確率は高いのではないか。

(中略)

一度きっちり締め上げてやらんと、生ぬるい環境でぬくぬくしている奴らは目を覚まさん、と思っているのである。
「自分が有利に立つためには、わざと不利な条件で戦うとよい」というような言葉がポロリと出るのは典型的な「平和ボケ」の症状である。
「誰も命までは取りゃせんだろ」というこの生ぬるい構えそのものが「ガラパゴス化した日本の症状」なのである。

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たしかに。危険をさらっと、当たり前のように事前に回避できる決断力って素敵だと思う。タイトルにあるみたいな自己肯定感と、上みたいな能力って似てる気がした。


心がけてみよう。

話し手の不安

同じ題名で日記を書いた人がいて、それを読んであまり感情的になったのでびっくりして、なんでだろうって思った。同じ場面に立ち会ってても注目してた点が全然違ってた。


「自分の都合のいいように解釈して!」


文章を書くときの内容は自由だし、自分の解釈を素直に述べてるのかも。


解釈とか文脈が他のひとと同じだってことを前提にしてはいけないんだな。
ちゃんと確認しないとな。。って教訓にしよう。そうしよう。怒らせることがいけないんじゃなくて、感情的になったその後もきちんと向き合うエネルギーが相互にあることが大切で、それって幸せなことなんだな。


発言の趣旨が伝わっていないのは、それだけ疎遠だってことで、寂しいことかもね。


ふー。

増えちゃった(>_<)

実家を出てしばらくは、緊張と生活リズムを整えるので精いっぱいで
食欲が出なかったおかげで3キロくらい減った。


最近はすっかり生活に慣れて、それ自体は嬉しいことですがおかげで元に戻りました。実家にいたときには毎日1時間は歩いていたから、運動量が減った分さらに増やさないようにしたい。が、調査前後や仕事で文章書いてるときって甘いものが食べたくなるから、増える予感がする。


それもあって、時々皇居ランをするようになった。家を出て、皇居まで行って一周して戻ると10キロ。先輩方が軽く毎週土日に10キロランだん。とか言っていたのと、同居人が走り始めたのにつられて走ってみたものの、思ったより全然長くて、全部走ることは到底できそうにない。が、普段行かない街を走るのが気持ちよくて旅行気分も味わえるので、低速で続けようと思います。


寒くなってきたので、ジョギング用防寒具を実家に取りにいった。最近ちょっと家のなかでごたごたがあって、母が憔悴している。気にすることないよ、と言っても響かないので、どうしたものかしら。

気長

同級生が、「40年はここに勤める」って言いながら社会人になっていったのを見て驚嘆したと同時に、同じ会社=同じ建物みたいなイメージがあって気持ち悪さを感じてしまったのだけど。

自分だって高校出るまで足かけ15年同じキャンパス、大学入学後だって来年で10年目ジャンて思った。


昨日の調査が後を引いてる感じがする。あー悪い癖が出る。
これからコーチンセミナー☆


その、何にでも当てはまると思うのだけどネガティブを徹底的に排除するひとは、その動機はネガティブに分類しないのね。どっちもどっちだと思うなあ。女の嫉妬は醜い面もあるけど、それが面白いのだと思う。今上手く言葉にできないので、もうしばらくしたらまた書くかも。

フランスの風景

http://raubron.exblog.jp/

偶然見つけて、読みふけってしまったブログ。
写真がとてもきれいだし。書いてる方の前向きな姿勢が好き。


ライフスタイルってほんとに沢山あるんだな。忘れがち。

それでね、このブログにあるみたいな文章の書き方って素敵だなって思うのよ。
最近特に。自分が感じたままに素直に言葉を流すかんじで、友達がSNSに書き込むときもこんな感じ。


いいなーいいなーどうやったらこう書けるんだろうって思って、これまた偶然3年前のブログを読み返したら、同じような書き方していた。

そのときは、それが嫌だったから結構本とか読んで、硬い?書き方を学ぼうとしたんだ。それが功を奏したともいえるじゃないか。そうだいいことだー



息苦しくなってきたら、頭の中のもやもやを流れださせるように言葉にしよう。
平日は硬い文章しか書けないのだもの。


今日はこれから面接ー