話す量

話をするのは嫌いではなくて、友達と数時間は話し続けられる。

なのに、なんとなく話が詰まってしまうひとっていうのがいる。しかも、最初から話せないのではなくて、数年前と比べて話せる量がものっすごく減ってしまったひとがいる。


今の方がひとの話を聞くのが面白くて、人の話を聞いて思い出したことを話したり、場合によっては言わないでおくようにもなったから、少しは会話の手が増えたと思う。以前は、話すにしても、まるで独りごとのように話していた。


最近は、独りでひたすら話せっていわれても苦しい。相手の反応を足がかりにして、話を進めたり適当に返したリ(は苦手だけど)しないと続かない。コミュニケーションて意味では広がったのかもしれないけれど、何か失ってる気もする。


まあでも、ブログに書いてることをもっともっとまとまらないかたちでうわーっと言ってたのであって、今はこうして吐き出す場を得ているから、ひとの話を聞く余裕ができたのかもしれない。実は、最近思うのはどうしようもなくつまらないことが結構気になっていて、でもそれを伝えられるひとっていうのはとても限られているってことで、つまりそういうひとは私の命綱ともいえるひとだってことだ。だって、ブログだけでは、足りないのだもの。思ったより、言葉に飢えている(ときがある)。

沢山の本を読んで、表現の幅を広げて、自由に言葉で表現できるようになったら楽しいに違いない。何かについて、火がついたように話せる事柄はいつもひとつもっていたい。