博士の学位

取りました。もう少し、気分が盛り上がるものだと思っていた。

博士課程への進学がそもそもとても個人的な理由だったし、自分のための研究だと思って続けきた。しばらくして、個人的な理由とは別に、一貫した理由が必要だってことにやっと気付いて、それから長くかかった。でも終わった。

自分のためにやってる部分は、今から1年くらい前に完了していたから、その時点で半分くらい感動を放出してしまっていたのかもしれない。

この先何をするかという部分は、未だグレーな部分が多い、し。論文を書くのは面白い。計画を立てるのも面白い。でも同じテーマを続けるのは、まずいままでの研究が人生にとってどんな意味を持つのか、自分にも他の人にも説明できるようになってからにしたい。なんか必死でやってきたけど、これって一体なんだったんだろう?今までの研究の位置づけは、発表と周囲からのフィードバックの影響も大きいだろうから、まずは発表だ、と思う。

これから

どうしようか、と思う。
時間が過ぎるのを、ちゃんと確認しながら進もう。人生を踏みしめることか。

体調がいまいちだからか、最近あまり考えない。
ぼーっと横になっている。

これでいいのかもな、と思った。
いまも走り続ける友人たち(友達、の方が近しい感じがするのだけど、引きこもりだからそんな感じにかけないのが寂しい。)を横目に、ああは走れないんだな、と思った。憧れを捨て切れずにいつつ、ゆっくり歩くことにした。

ルーマニアのお母さんのように傾斜はゆるくても、止まらなければ上がる、というような姿勢は保てるように、健康に気をつけよう。

いらいらする理由

いらいらして文句が言いたい。
というか、言っている。

後輩が言うことを素直に聞かない、偉そうだ、と思って文句を言うのは横柄だ、と思う。
文句を言っている最中に、自分が文句がいいたい気持ちなことに気づいた。そして、いらいらしている理由を探したところ、行き着いたのは反抗されるのが嫌だったんだろうということだった。幼稚だなあとおかしくなったり恥ずかしくなったりした。幼稚だと気づいて一旦はいらいらするのが収まったが、まだ気持ちが落ち着かないのでひとまず泳いだ。普段はこれでさっぱりするのだけれど、今回は逆効果だったようで、疲れて歯止めがきかなくなってしまっている。

さらに、研究が上手くいっていないと愚痴をこぼし、相手があきれた顔で部屋を出て行ったといって落ち込んだ。こっちは一瞬だけど。

久しぶりに分析に手をつけられて幸せな日のはずなのに、あまり幸せ感がなくなってしまった。幸い分析は割と順調に進んでいるので、運動して疲れたといっても大したことなかったのか。それはそれで、疲れて歯止めが利かないわけではないということになり、寂しい。

分析はせずにはおれないので、終わらせてなるべく早く寝るのがいいでしょう。
自虐で自分を慰める癖があって、それは近しい人を疲れさせる場合がある、ように思う。疲れさせたくないので、生来のにぶさをもうちょっと拡大させて対処しようと思う。近しい人は大事なものだ。

うらやましいと思う気持ちと焦り

うらやましいという気持ちが、薄い人がいて、それも私はうらやましいと感じる。
これでいいんだって思えるときはいい。だけど劣等感を抱き始めたらどうするのか。

劣ってる、と思ったときは寝る。
普通、興味がない人に対して強い感情を抱かないものだと思う。というか、比較相手には基本的に好意を持っている。人間関係を長く続けたいと感じる人だ。劣っていると感じながら近くにい続けるのは辛かったけど、おかげで数年経つとその人に対して劣っている、という感覚が薄れることがあるってことが分かった。いえい。劣っていると感じていた点について、まあいいかと思うようになることがある。単に忘れることもある。

くよくよしたことを書いている。でも、今感じているどきどきは、だからいつか薄れることもあるでしょうと考えて、放っておく。

志は。

志は、最初はよくわからなかった。そのうち、鎮魂だと思うようになった。
そしてさっき、鎮魂の意味を調べていて、それが故人だけでなく生きている者にも向けられる言葉だと知った。

ブログを後で読んだときのために、書いておく。
やめないで、ちゃんとPh.D取ろう。
なんのためにやってるか分かりたくもないって思うときには寝て。

何をすればいいか、分かってきたのだから、続ける。
終わるかどうか分からなかったものが、直せば終わる、に変化したのは大きな一歩だ。

華々しいキャリアに憧れて自分をそれを比べて腐って、自虐に逃げても(たまにはいいと思うけど)、ひとまずそれでも話を聞いてくれる夫に申し訳ない。

「もう何も思い残すことはない。いつ死んでもいい」って言葉を聞いて、自分を振り返ってみて、まだ死ねないなあと思った。なんだ、めっちゃ健全じゃん。そのとき思い浮かんでくれた夫に感謝感謝。

最後はのろけ。ああ、家族が増えるっていいなあ。
私はどうやらあまり野心がないので、Ph.D取って、職人として働く道を探ろう。また変わるかもしれないけど、ひとまずこれで。

志を忘れることはあるだろうけど、後でちゃんと思い出すように。

データ収集がしにくいという甘え

データを収集するのに時間と手間がかかるからといって、分析の質が落ちる言い訳にならない。そもそも、そのテーマを選ぶべきではない。というか、選んだならやりきるぞ、と。悔やんでも今の時点では意味がないので、時間をかけることになるんだと思う。

確かにデータ収集は大変だった。分析も、独学で勉強しながら、もちろんスーパーバイザーのアドバイスを受けながら進めた。だけど振り返ると「こんなに頑張ったし、大変なテーマに取り組んだのだから認めてよ」って思ってたなと思う。それが、恥ずかしながら今まで残っていたんだわ。

甘えてもいい時期はあると思う。他に方法があるとは思いつきもしないときには何をモチベーションにして一歩進んでもいいと思う。だけど時間がたって、周囲から「普通」と判断される程度には、立ち直るというか元に戻ったのなら、なるべく早く基準を見直さないといけない。いけないことはないけど、個人的にはそうしたい。いやいや、特別視されることなく、評価される(ってほどでもなくて、審査のときには随分気を使われていたのを感じた)とは。3年間には想像もしていなかった。

以前考えていた専業主婦脳とはまた別の話だ。

さ、分析しよ。