正直へこむ
結婚を予定しているひとが次々居ると、へこむ。
そんなの気にするのは自分に軸がないからだとか、色々な言説を信じたりしてたけどへこむっていうのは、後付けで浮上することはできるけど、それ自体否定しても仕方がない。
自分の人格なり何なりに決定的な欠陥があるかもしれないと感じるからへこむのだ。それがまた、他人と比較することでしか自分を確認できない云々言われているのに着目したしするからへこむんだけど。とにかく、へこむものはへこむ。
不確定要素が人生に入ってくるのが嫌だという価値観のひとを、それを聞いて即座に決断しない、できない、その言葉を信用しないのは、自分の判断に自信が持てないからだと思ってる。し、多分そうなんだ。でも、大概のことはいくら待っても結果って最初のと同じなんだと感じてる。
3年前、何事も決めずにいるのがいいと心底思っていた。けど、自分で決めないと何も進まないんだって気付いて(気付いたように感じるようになって)、それを子ども的な発想なんだなと思うようになった。子ども的発想が悪いわけじゃないけど、私が望むことってそれじゃ達成できなんだなって、だからへこむようなことが起きてるのかもしれないって、気付くのに3年。ま、でも気付いてよかったかもしれない。
相手に育ってほしいとか、変わってほしいって思わずにはいられなくて、まず自分が変われるだけ変わってみようと思ってやってみた。でも変わるっていうのは、そういう理性で制御できるものではなくて、考えざるを得ないような事柄についてしか変わることはできないのかなと思う。ここ数年、大きく変わったことは理性で考えたことではなくて、もっと根本的な望みだ。それと、理性がずれると不満がたまる。
サークルの先輩に、「難しいけど、なるべく自分に素直に行動してくださいね」と言われて、長いつきあい(恋愛的なことではなくて)っていいなあと思った。ありがたくて嬉しいのは、そういう人達は着実に増えてることだ。大切なひとたち。
いいひとぶるのをやめよう。嫌なものは、嫌なんだ。
大人になること
自分に関していうなら、目安のひとつは、いいひとぶらないってことだと思った。でも表現方法には気をつかいたい。
飲み会前に疲れたな、って感じてるのは、もしかしたらそもそも気が進んでないのかもしれない。とはいえ、行ってみたら楽しかったから、やっぱりやってみないと分からないものだわ。
どんな年だったか
「ちきりんの日記」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111216
今の仕事(まがりなりにもお金を頂いているから仕事)は研究。仕事の測り方を「学べてるか」と「楽しいか」で評価しようって書いてあったのでやってみた。おお、両方ある、ハッピー欄に入ってるんだな。
選んだんだし。がんばろー
今年、というかここ3、4年、自分だけで生きてるような感じがした時期もあったけど、思い返せば全然そんなことはないじゃない。いつもいつも必ず誰かに助けてもらってきた。その人たちへの感謝を忘れてへこむってとんでもない背徳じゃないかと思った。そして、そう思ったら幸せな気分になった。今年のまとめでも考えるかな、と思ってふと気づいた。忘れないでいるためには、感謝の祈り、などの行為を習慣化するって素敵なことだと思う。
気づけてよかった。
来年の抱負
失敗や無駄を、失敗や無駄をしたんだと認めて先に進むこと、にしよう。
やってみよう。
集中力よこい
今あるデータ分のテープ起こしが終わりつつある。終える前に集中力が切れた。
仮説検証型の研究ではないといっても、文献検索と今までの経験をもとに道筋はたてておく。分析も初めてじゃない。でもテクスト作成してデータを目の前にして、どこから手をつければいいのか途方に暮れる感覚は消えない。消したくもないけど。
目途つけてたものと全然違うものがでてきちゃったり(そしたら考えればいい)、新規性がなかったり(これ怖い)とか。結局終わらないんじゃないか(これが一番こわいが、技能なさすぎ)とか。最近の不安定さは生理的なこともあるけどそれよりも研究の先行き不透明感が原因だったんだな。当たり前のことだわ。
こういうときに「不安になるのはやってないからだ」とか分かりきった精神論ぶつけられると二度とその人の顔みなくていいやと思う。
プロジェクトって、少しだけ終わりが見えた気がした先にやること多い、っていうか見えてる(気がする)のと実行するのって全然違うって、いつからか思うようになって、だから尻込みするんだわ。尻込みしないとか、自分の感覚を無視できる体力があるひとはいいと思うけどね。よかったね。
幼馴染のひとりが亡くなって、明日は葬儀。先日までSNSでしゃべってたんだけどな。