正直へこむ

結婚を予定しているひとが次々居ると、へこむ。


そんなの気にするのは自分に軸がないからだとか、色々な言説を信じたりしてたけどへこむっていうのは、後付けで浮上することはできるけど、それ自体否定しても仕方がない。


自分の人格なり何なりに決定的な欠陥があるかもしれないと感じるからへこむのだ。それがまた、他人と比較することでしか自分を確認できない云々言われているのに着目したしするからへこむんだけど。とにかく、へこむものはへこむ。


不確定要素が人生に入ってくるのが嫌だという価値観のひとを、それを聞いて即座に決断しない、できない、その言葉を信用しないのは、自分の判断に自信が持てないからだと思ってる。し、多分そうなんだ。でも、大概のことはいくら待っても結果って最初のと同じなんだと感じてる。


3年前、何事も決めずにいるのがいいと心底思っていた。けど、自分で決めないと何も進まないんだって気付いて(気付いたように感じるようになって)、それを子ども的な発想なんだなと思うようになった。子ども的発想が悪いわけじゃないけど、私が望むことってそれじゃ達成できなんだなって、だからへこむようなことが起きてるのかもしれないって、気付くのに3年。ま、でも気付いてよかったかもしれない。


相手に育ってほしいとか、変わってほしいって思わずにはいられなくて、まず自分が変われるだけ変わってみようと思ってやってみた。でも変わるっていうのは、そういう理性で制御できるものではなくて、考えざるを得ないような事柄についてしか変わることはできないのかなと思う。ここ数年、大きく変わったことは理性で考えたことではなくて、もっと根本的な望みだ。それと、理性がずれると不満がたまる。

サークルの先輩に、「難しいけど、なるべく自分に素直に行動してくださいね」と言われて、長いつきあい(恋愛的なことではなくて)っていいなあと思った。ありがたくて嬉しいのは、そういう人達は着実に増えてることだ。大切なひとたち。


いいひとぶるのをやめよう。嫌なものは、嫌なんだ。