ことばの実態

毎日つかってることばには、言った瞬間に映像や匂いが付随してくる。
慣れ親しんでないことばだと(私にとっては)ただの文字列だったり、人によってはことば=文字じゃないかもしれないけど、とにかく記号でしかない。でもその場合ですら文字列っていうとなんか無機質、つまり(私の感覚的には)冷たいとか、なぜだかパソコンとか連想する。そう、連想するんだ。


経験を通じて、それまで無機質だったことばから連想する色形匂触感が変化する。ひとによっては、ことばじゃないかもしれないね。手話を使うひとは、しぐさに対する意味づけが増えるのかな。

そう何回も感じたくない連想が混ざってしまうこともあって、それがトラウマとか思い出したくない記憶になるのだろう。連想の範囲を超えて身体も反応するのがPTSDなんだろう、とざっくり理解した。


研究について、個人的には弔いの意味を込めたくて、研究としては、この連想の機構について哲学的・抽象的にではなくて、経験的に記述したいと思ったんだ。ヒトが認知できるインパクトの大きさ・種類は限度があるから吊り橋効果があるので、なら記述できるんじゃないかしら。


勘違いしたんだとかこの人のこの感情とこの感覚は一緒、とか判断するのは第三者で、本人にとってはそのときの真理って言えるのかな。


やろうとしてることと矛盾するけれど、こういう事に関する観念を系統だててぎゅっと学びたい。1年くらい。きっと誰かが考えたことのあることなんだ。同じ考えも環境が変われば意味も変わるはず。論文強化期間は年度末まで続く。