オタクの重要性

教科書の著者のひとりが、一昨年一緒に死生学の講義を受けてた人だった。そこでは、社会学や心理学の学生が集まって、質的研究法の背景となってる古典を輪読してた。内容について話し合うのが(まあ、当時は聞く方が多かったけど)面白かった。

先生が、オタクだったんだんだな。古典に対する熱意が学生に伝染して、共有されてた。5、6人の参加者のうち、一人はフクシマ論の人で、もう一人は今日読んだ教科書を書いていた。熱意だね。知りたいことを追求せざるを得ない体質というのか、追い求めながらキラキラしていて、学問の権威とか意味がどうとか言われてても、そういう人を目の当たりにして、学問は続くなあと思った。

前にも書いたような気がする。でもこういうのは、思い出すたびに書いておきたい。この先に何があるんだろう、もっと知りたいって気持ちを新鮮にしておきたい。あ、ときどき、いつもわくわくしていたいって言う人がいるのは、こういうことなのかな。

オタクで素敵な先生は残念ながら異動されてしまったけれど、あのがち人文学の講義を見つけられた幸運、次はどんなのが来るかな!