主観と客観再び

もやもやする。

言葉を当てはめることで、もやもやしたことにとりあえず枠組みを与えることができる。だけどその時に感じる違和感てなんだろう。


喪の過程、といわれるものについてもそうだ。自分の状態を本で読んで、後付けでああそういうことだったんだと納得することはある。外からの知識でしょう。でも日常的にしてるのは、なんだろうなんだろうと思いながら生活してるだけだ。


この差に、どうしてこんな違和感があるんだろうか。教科書を読みながら思ったこと。めも。