竹内整一

震災直後の連載で好きになった、思想家、かな。

さっきと同じ本のなかに寄稿していた。志賀直哉を頻繁に引用しながら説明していた。志賀の文章は小僧の神様くらいしか読んだことはないけれど、フェルメールの絵を連想した。写真みないな文章。

曾祖父の家に祖父と父がため込んでいた古い文庫の山の中に、志賀が比較的多くあって血縁だなと思った。

「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。」(志賀)

最近面接調査をしている。
なかには、私よりよほど宗教・哲学書を読み込んで勉強されている方もいる。反省は多々ある。それでも調査は私が今この場所に所属しているからできるのだと感じた。無理やり感は残るにしても、研究を続けることが自分ひとりのためだけじゃないと理解し始めたのかもしれない。