恥の文化;でも切腹されたくない

場違いなんじゃないか、とかあほなんじゃないか、穴があったら入ってしまいたいと思う気持ちって、基本放っておいていいのだと、(もしかすると、やっと)思うようになった。


場違いでアホで空気読んでない場面はたぶんたくさんあってどの程度自覚してるかわからない。調和しなきゃって、ずいぶん気にしてきた。気にした結果、意見を言わなかったり、常識的だと思う行動をとって結局うまくいかない経験が重なって社交を避けるようになったり、手を挙げなくなったり行動自主規制ばかりでもったいないことを散々してきたなあと思う。


恥ずかしさや劣等感て抽象的な言葉だけど、強く感じるときにはからだの芯がこわばる/全身が緊張する、みたいにかなり身体的な反応で気づきやすい。ので、ああ、あたしこういうことに劣等感あるんだな、とか、これできないと思ってるけど本当はやりたいんだな、とか、知るきっかけとして便利だ。勘違いもあるだろうけど。


そういう身体のサインに気づいたときに、いいわけしてやり過ごすか、理想に近づくべく対処するか対応はざっくり2種類ある。どっちでもいいし、選べないような場合も多々ある。ここのところ、じゃ、努力しようと踏ん張るときがあるっていうのが、うれしいなと、思うわけです。


現代の切腹を研究テーマにしていて、最近進んでない。来年以降の方向とあわせて計画立てないと。