時間の威力

忘却は偉大だ。感情に関わることなら、(個人差はあるだろうけど)2年経てば、大抵の生々しい感情は忘れるんじゃないだろうか。


こういう状況のときはこう感じるはずだ、みたいな思い込みがある。そういうのも立派に感情だけど、2年経つとかなり薄れる。そうすると思い込みじゃない(かもしれない)感情が浮き出してくる。例えば悲しさが薄れて、実は怖がってるんだ、とかがわかってくると、今までよりも効果的な対処法にたどりつきやすくなる。


感情を独力で処理しようとして何回も痛手を負ったおかげで、素直に人の助けを借りられるようになった。個人的には大きな進歩だった。


セルフヘルプグループ(SHG)というのがある。いわゆる「健常人」に言ったら悪いよね、って重い感情を吐き出して対処するんだけど、ヘドロみたいな気持ちを互いに背負って疲労困憊することが分かっててお互いに耐える。みんな素人だから素で吐き出して、素で聞く。

SHGのファシリテータを仕事にしてたら人生暗いと思っていた。ところが10年以上続けてる人はどちらかというと明るいし、どっしり落ち着いてる。とても魅力的だと思う。


とにかく重くて疲れるから、調査がなきゃ行かないけどね。
そういえば、最近隣の芝があまり青く見えない。。。かな?


自信を持ちたい、うらやましがらずにいられたらいいのに、とずっと思ってきたので嬉しい反面、きっとそんなことはないけどこの先の道が決まったのかもしれないと思うと寂しい気もする。


実は自分に嘘ついてるんじゃないかって感覚もないわけじゃないが、研究がひと段落つくまでは続けよう。。


ところで
昨日の夕方、湯浅誠さん、香山リカさん、清水康之さんの対談に行った。生の対談は、雰囲気から話者の人柄を感じられる気がして、研究に関係あるときはデータにならなくても時々行く。


昨年の10月から今年の8月までひきこもりっぱなしで座学を続けてきた。関連理論、手法が開発された背景、先行研究の全体像がぼんやりわかるようになってくると、それだけじゃ研究計画が立たないことも分かってくる。研究の意義が実感できず、それやって意味あるの?って聞かれて答えられず調査終わらない、D論終わらない、Ph.D取れない、ありえない。

で、改めてフィールドに出ることにして初期に抱いた感想が上に書いたこと。