好きなだけ書く場所

記事を書く画面のレイアウトが変わってた。

ここには書き捨てたい言葉を書きたいだけ書いているけれど
ちゃんと取捨選択した後の文章が書けるようになることも必要だと思って
別に日記をつけることにした


ここには、今までどおり、好き勝手に書き続ける。
ついったーとブログと、もっと閉じたSNSに書く日記の違いについて考えてみた。

ところで考えるっていうものの、私がいつも実行してるのは頭の表面でつるつるとすべる思考だけかもしれない。研究っていっても99%は勉強だし、答えのない事柄について考える経験はあんまりない。

社会に出たら答えがない問題ばかりとはいえ、がっつりアタマを働かせるのは時間がかかるからこそ色々と組織化されているわけで、やっぱり特定の職業に就かない限りは考えることって少ないと思う。多分。

ついったーとブログとSNSの日記を直感で分けると、
前者2つが書き捨て用で、日記は推敲が欲しい。
だってついったーっていくら言ってもすぐに流れてしまう。
ブログには多分2種類あって、私が書いてるのは完全にストレス発散用だけど
ちきりんや内田樹先生みたいに社会に向かって発言するようじゃ書き手の心持が全然違うんだろう。書き捨てるように書いても読まれる人もいれば、
発信用に書いても読まれない人もいるだろうから、書き手の意図まで考慮して分けてられないか。いくら書いても嵩張らないことがポイント。

SNSの日記は知ってる人が読むから緊張する。
だから何回か読み返すし、変なところは直したい。

あたしの場合は、だけど。
どれも書き捨て用っちゃ書き捨て用だね。

このブログが、きっと読者が少ないから笑
かなり気楽に書き放題かける。

でも人に伝えるためには、一番伝えたいこと以外を切り捨てた方が
目的が達成できるってことが分かったので、他の場所では気をつけよ。

それからついったーってふぉろあー数に限らず意外と公共性が高いようなきがする。適当につぶやいてたら、会ったことがなければその人のイメージはそのままだし、日記用には意識してポジティブネタを書くようにしてても通常はかなりネガティブとか、その割合は人によるだろうけれどそういうポジティブ・ネガティブな側面の出し方を間違えると(少なくとも私は)行動を起こしづらくなってしまう。全然得意とはいえないけど、やっぱり少しは気にしてどうにかしたいと思う。

こっちに好きなだけ書いてたら、つぶやく必要はなくなるかなあ。

今日は前の研究室の友達とランチして、愚痴は同姓にするもの、という名言を得ました。硬く実行すべし。