教育は「教える側がまず贈り物をする」ところからしか始まらない

内田樹のブログより


「患者教育」ってえらそうだな、と思っていたし
「ニーズ把握研究」って、本人たちが気づいてることばかりではないよ、
といわれたことの意味がわからなかった


ブログを読んで
最初は贈ることから始まるなら、
それらの言葉の意味がわかる気がした
言葉の定義って大切なんだな


そうすると、ニーズ把握研究って
えらく人生経験の必要な研究じゃないのかって思う
20代が40代、50代のヒトの潜在的ニーズを
把握することなんてできるのだろうか。

たぶん、20代が実施する調査結果と
もっと上の世代が実施する調査結果は違うし
もしかしたら、ものをしらない世代だからこその効果ってあるのかもしれない
状況に左右されない真理ってないらしいから
できることはやろうと思える。



教育側が贈るものってなんだろう
教育について、また
人間が生きていくうえでの
スタンダードについての信念を
言い切れるほど確信してるか迷う
教育者になろうって思ってるわけではないけれど


信念て、月日と経験を積むと
ぶれなくなるのか
それとも、ある時点で、自分で決めるものなんだろうか


こだわりなら、あるんだろうナア


ところで、「ニーズ把握研究」をするつもりでいたけれど
先生的には、予防研究に鞍替えしたと思っているらしい
どうしたものか。