足りない

感情労働に興味持つのは
牧師や住職を不思議に感じてきたからかもしれない

今もバイト先には、住職がすたんばってる
しょっちゅう電話がかかってくる
水際なのか、遺族対応なのか
ともかく、相手を急かさず安心させるべく話を聞いている
隣で電話していると、ついつい耳を傾けてしまう


普段は、かなり適当な感じに
マイペース全開のおっちゃんだ。だからこそ
安定感は抜群
つまり、こちらの不安な部分に決して影響されないって
安心感がある


教会でもお寺でも、
一体本人達自身の欲求はどうなっているんだろうかって思ってた


マイペースが一番なのかもね。
変わらないことって安心するもの。


self-stigmaっていうのが一番のストレスらしい
差別不安由来の生活自己規制って訳してた
人の不幸話を吹聴するわけにもいかないから
自分の話をしようとして失敗してる感がある
違う。むしろ自分の話ができなくて何か溜まってる


安心と安定を求めてるぽいのに、逆方向に走ろうとしてるのかも
研究にどっぷり浸かったらどうなるのか、不安っちゃ不安
外の世界を今までになく大切で
有難いと感じてる