雨の日

とてもとても苦手
じっとりと靴の底が濡れて冷たい


何がしたいのか自分で分からないふりしてるとき不安になるらしくて、それってどういうことかって思ってた。ほんとは何したいかって、正面から聞けば知ってるくせに、どうせできないって脳内で何度も上書きしてでも結局消去されないからなんだな。でもそういう考え癖を何年も続けるうちに、上書きを本心と思いこむことに慣れてきて、混乱状態が基本になるんだ。


でも精神と身体のどこかでは覚えているし、素直さを掘り起こす作業が精神的に苦痛(慣れないことしてるから)なだけなのにサボってるとお尻を叩いてくる。


めっちゃ文句言いたいんだな。文句文句文句。
明るいことは言いたいし書きたい。話す内容と書く内容を別にしたい。話す機会の方が圧倒的に多いのだから書く方に明るい話題が残るってことが少ないし、暗いことを言いたくない欲求が強いとブログ内容が暗くなるんやね。


そんなことをこんな長々言わず端的に言ったら、キリスト教的だと解釈する人がいるみたいだった。それでさらに思ったのは、そういえばあたしは義務教育を大真面目にキリスト教精神で受けていたことと、この宗教に馴染むとかなりの矛盾を笑顔で受容できる精神が養われるに違いないと思っていたことだった。苦難を受容することこそあるべき姿なんて、権力者が広めたいわけだわ、なんて思っていた。でも権力者がいようがいまいが人生には山坂あるかもしれず、窮地では心に浮かぶ昔の言葉に助けられるのかもしれない。

今でも理想の女性像は教会にいらしていた高齢の卒業生たち。酸いも甘いもかみしめた結果その落ち着いた雰囲気を全身から漂わせるに至りました、みたいな。控え目な華やかさと強さ。


今日はどのくらいの人がサッカーを見るのだろうか。
明日は晴れ間があるといいな