初等教育について

悔い改めなさい、そうすれば赦される


悔い改めるって、具体的には罪を認めることだ
懺悔と大きくは違わないはず


キリスト教では、制度として推奨されてる行為だったのか
「言うから許してほしい」って思い続けているのは、
甘えばかりかと思っていたけれど
ある程度人類に共通の願いだったってことね
わが身を振り返る習慣のある宗教は、他にもあったように思う
特徴づけられない不特定多数に向かって、ブログで懺悔しているということ?



欧米のブログは実名で情報発信をするための道具なのに
日本では適当な日常のつぶやきを垂れ流しているだけっていうのは
そもそも日本語の文章って小説など内省的なものが多いの一因だと思う。
さらに、宗教がなくって、懺悔する場が用意されていないわりに
今まで心に溜め込むのをよしとされてきたことを、吐き出してしまった方が楽だっていう
価値観は根付いてきてじゃあブログってことになったのかもしれない。
インプットが多すぎて、吐き出さずには生きていけない状況だったりするのかしら。


話はそれたけれど、
こうして「言えば、赦してもらえる気がする」と信じていることこそ
初等教育の影響の大きさを表していると思う。
常に希望を持ち続けること、希望は消えないこと、
いつでも悔い改めることができること、赦してもらえること
当時意味はまったくわからなかったけれど、
シャワーのように日々これらの言葉を浴びたことが
人生の宝になっていくのかもしれない。