結果の一般化について

内田先生のブログより抜粋

「教条や社会科学は『汎通性』を要求する。あらゆる歴史的状況について普遍的に妥当する「真理」であることを要求する。
だが、その代償として失うものが多すぎる。
マルクスの理論が普遍的に妥当すると主張してしまうと、なぜ他ならぬマルクスが、このときに、この場所で、このような文章を書き、このような思想を鍛え上げたのか、という状況の一回性は軽視される。
だが、マルクスが生きた時代、マルクスが見たもの、触れたもの、それを想像的に再構成することなしに、マルクスの「熱さ」を理解することはできないのではないか。」


学者でも社会活動家でもいいのだけれど
あるテーマにそこまで深い興味と執着をもつようになった
きっかけは、その人が置かれた状況と切り離すことはできない。
さらに、背景は研究や活動の内容にも大きく影響してくるはず。


それを一般化しようとすれば
誰にでも当てはまるが、何の役にも立たないような結果と考察が
沢山できてしまう。

真理を求めることは科学者として大切な使命だと思う。
でも成し遂げられる人は一握りだ。
運がよければ、もちろん真理の追究にも行き着きたいけれど
目の前の問題をどうにかする事を、日々追究したい。


仕事の完遂能力がないと、連日怒られる。

嬉しくなる。
さいころ、神経質な印象をもたれやすかったのか、
あんまり人に注意してもらえなかった。

だから、そうやって指摘してもらえる人が
いつも羨ましくて仕方がなかった。
かまってもらえてるように見えたから。


小さいときは、とても寂しかったけれど、
おかげで、得な性格になった気がする。