れびゅー

柳田邦男、「犠牲」だっけ?は全然読めなかった。
確か、ちょっと上から目線でくどい印象を受けたんだと思う。


今回読んだのは
「言葉の力、生きる力」
http://www.shinchosha.co.jp/book/124918/
言葉遣いが適当なことを反省する機会が
日常的に多いこともあり、興味を持った。


彼が感動した文章の背景を説明しながら、どうして感動するのかを考察していくエッセイ集。書評でもあるから、次に何の本読もうか考えてるときにもいいかも。


読み終わってからまだ覚えてる箇所↓

「人はだいたい5,6歳の頃遅くとも7,8歳の頃に、何かに強く感動したり心を惹かれたりする経験をすると、それが原型となって、右脳の中にどういうものに感じやすくなるかのレセプターが形成されるのではないか。。。感動が強烈だと、レセプターは確固たるものとなり、それからは鋳型にはまる対象を求めて、飢えを感じるようになる。そして、その飢えが受動的な次元にとどまらないで、切羽つまった心境になり能動的な次元に高揚したとき、その人は絵、音楽、演劇、舞踏、写真、映画、小説、詩歌など何らかの表現活動に踏み込んでいくことになる。」

へー。
そんな体験あったらいいな、なかったかな?
って思ってしばらくはまった。

「人はしばしば、喪失体験を不幸という言葉と同義にとらえる。。。だが私の場合。。幸福とか不幸という言葉を使ったら、現実が急に空々しくなるように思えて厭だった」

うん。

「少年時代には、そういう心の動きを言語化することはできなかったが、人生後半に入ってる今は、自分の心の座標軸を次のように明確に語ることができる。。。」

なんとなく安心した。
いやあ、自分が感じたことだからって、同じように感じる人がどれだけいるかもわからないのにこう日記に書いてしまうのって、どうかね。いいたいもんだからね。
こういうのはお酒飲みながらさらっと言うのがいいみたい。