覚書

研究ってなんでしょう?
人によって答えが違うみたい。

「事例分析が原点、ゴールも本当は事例分析で
個人を完全に理解することがゴールにならなきゃいけないと思う」

「私は自分を研究してる、自己分析してるだけなんだよ。」
研究って客観的じゃないと、いけないのでは?
「そう。だから厳密には、私は研究をしていない」

「医者が遺族になっても、つどいに参加するなんて聞いたことがない。
彼らにとって関係ないことなのだろう」
つどいに参加しなくても、問題がなければそれはそれでいいのでは?
「それとは次元が違う話だよ。問題のあるなしじゃない。」
・・・。もう少し時間下さい。

遺族にとって、
いかに悲しいか、苦しいかを研究されてても
そうですかって、思うだけじゃないですか
「まあね。理論的には啓蒙もできるかもしれない。今やっと、悲しいってことが気づかれ始めた段階だから、100年くらい早いと思う。
似てることは沢山あるよ。介護だって、最初に言われてから何十年と経ってやっと身近なものになったでしょ。まだ10年しか経ってないんだから。」
あ、そういえば、どこかでそんなこと読んだなあ。
薄まってた記憶が濃くなった。

「問題は、目を向けて初めて気づくんだよ。まずは目を向けないと。
概念は後からできる」

「個人の問題としてなら、もう何百年と研究されてきた。そうじゃなくて
社会の問題として考えないといけないんだ、ってことで法律ができたんだよ。それを今からやっぱり個人の問題だって言う事は、問題を歪曲する」
・・・問題を曲げる??

風通しのよい部屋で、いたずらっぽく笑う先生は
とても魅力的でした。うん。