死生学はなんで死が先?

臨床で仕事を続けるうちに
どのように人生を終えたいかを、土壇場で決めるのはどうなのか?
と疑問を持った方がいました。
その方がたまたまエネルギッシュで、
偶然私の友達のお母さんで偶然死生学について考える会を立ち上げるところ
だと聞いて、興味あると言ったら誘ってくれて昨日おじゃましてきました。

説明が長いのはよくない。

どのような最後を迎えたいかって、
別に決める必要はなくて
ただ、それについて考えて決めるときが来るかもしれないからね。
って知らせることから始めるのかしら。

教育学研究科の人も来ていて
デス・エデュケーションの研究をしているらしい。
研究は社会貢献しなきゃ研究者のエゴだ、と言っていた。
それがどう社会貢献になるの??
を繰り返し聞く。その方法について、極めて勝手に、教育学っぽいと思った。
そういえば、薬学の同期にもそう言う人がいた。


先行研究を徹底的に調べて
まだ明らかになっていないが明らかにする必要があること
を見つけるところから始める。
研究ってそういうものだと思ってた。基礎科学は違うこともある。
必要なことって何よ?
からしっかり世の中を見たい。
考えたことなかったけど、それも社会貢献だと言えなくもない。
と思った。
特に強調する必要はないんじゃないかなあ。

反省は、
何が言いたいのかはっきりしないうちに発言しない。
いくら反省しても毎回やらかす。でもまた反省する。